中国製「グレートファイアウォール」が輸出品になった――ミャンマー、パキスタンで進む国民監視の実態と日本への警告

中国企業「Geedge Networks」の実態

独裁政権に売られる「監視・検閲パッケージ」とその世界的拡散

Inside Geedge Networks: The Chinese Company Behind the Firewall

ーThe Surveillance and Censorship Package Sold to Authoritarian Regimes -and its Global Spread

2026年4月27日

発行元: 一般財団法人 日本危機管理研究所

執筆者: 舩山 美保

*This article is available in English via Google Translate.


目  次

キーワード(日英併記)

本稿のねらい

エグゼクティブサマリー

第1章 そもそも「グレートファイアウォール」とは何か― 14億人を閉じ込める「壁」の正体

第2章 Geedge Networksとはどんな会社か ― 「民間企業」の看板を掲げた国家プロジェクト   

[コラム] 「壁」を作った男――方浜興とはどんな人物か  自分が作った「壁」に、自分が阻まれた男の半生   

  中国政府との深い連携

第3章 「監視パッケージ」の中身― ITの知識がなくても使える「市民監視キット」

  【製品1】天狗セキュアゲートウェイ(Tiangou Secure Gateway)

  【製品2】サイバーナレーター(Cyber Narrator)

  【製品3】TSGギャラクシー(TSG Galaxy)

第4章 どの国に売られているか― ミャンマー、パキスタン、そして150カ国へ

  今後の拡散リスク

第5章 西側企業はなぜ関与しているのか ― 「知らなかった」では済まされない時代

  西側技術の「流用」という問題

第6章 日本にとってのリスク ― あなたの通信が狙われ、世界で「監視」がルール化されていく

  リスク① 日本人が直接、監視される危険

  リスク② デジタル権威主義の「標準化」という長期リスク――ITUをめぐる攻防

第7章 国際社会の反応と日本への提言 ― 米国は動いた。日本はまだ動いていない。

  国際社会の動き

  日本への提言

おわりに ― 民主主義か、監視社会か。日本が「壁」を破るとき

参考資料

用語集


キーワード

日本語English
グレートファイアウォール(金盾)Great Firewall (Golden Shield)
インターネット検閲・監視Internet Censorship & Surveillance
Geedge Networks(ジードジェ)Geedge Networks
ディープパケットインスペクションDeep Packet Inspection (DPI)
デジタル権威主義の輸出Export of Digital Authoritarianism
一帯一路(BRI)Belt and Road Initiative (BRI)
VPN遮断技術VPN Blocking Technology
天狗セキュアゲートウェイTiangou Secure Gateway
サプライチェーンリスクSupply Chain Risk
人権侵害とテクノロジーHuman Rights & Technology

本稿のねらい

本稿は、政治家・メディア関係者・ジャーナリストを主な読者として、中国のGeedge Networksという企業が何者で、何をしており、なぜ日本を含む民主主義国家にとって脅威なのかを、専門用語を使わずに解説することを目的とする。

2025年9月、同社の内部文書約600GBが流出したことで、長年ベールに包まれていたグレートファイアウォール(中国のインターネット検閲システム)の輸出実態が初めて明らかになった。この流出文書は、PBS NewsHourおよびAmnesty Internationalが独立した検証を行い、本物であることが確認されている(参考資料No.1・No.8)。本稿はその内容を整理し、国際社会および日本が取るべき視点を提示する。


エグゼクティブサマリー

会社の正体2018年設立の中国企業。「グレートファイアウォールの父」方浜興(ファン・ビンシン)が最高科学責任者を務める。
何をしているかグレートファイアウォールの商業版(監視・検閲パッケージ)を世界の独裁政権国家へ輸出している。
証拠2025年9月に約600GBの内部文書が流出。PBS・Amnesty Internationalが真正性を独立検証済み。
売り先ミャンマー・パキスタン・カザフスタン・エチオピア(確認済み)。中国国家政策「一帯一路」参加約150カ国が潜在対象。
日本への影響当該監視システム Geedge導入国を訪れた日本人の通信が傍受されるリスク。デジタル権威・管理監視主義の「標準化」が民主主義を侵食する長期リスク。
西側の対応米議会・シンクタンクが制裁・輸出規制強化を提言。Amnestyが刑事捜査を要求。
日本の現状政府の公式対応なし。早急な実態調査と国際連携が求められる。

第1章 そもそも「グレートファイアウォール」とは何か

中国のインターネットには「壁」がある。

中国国内でスマートフォンやパソコンを使ってインターネットに接続しようとすると、その通信はすべて、政府が管理するフィルタリングシステムを通過する。このシステムが「グレートファイアウォール」、別名「金盾」と呼ばれる仕組みである。重要なのは、このシステムがいまや「輸出品」になっているという事実である。

具体例「天安門事件」や「習近平 批判」といった検索ワードがブロックされたり、Google・YouTube・Facebook・LINEの海外版にあたるサービスへのアクセスが遮断されたりする。14億人の中国国民が、政府の目に見える範囲の情報しか受け取れない構造となっている。

第2章 Geedge Networksとはどんな会社か

Geedge Networks(ジードジェ・ネットワークス)は、2018年に中国で設立された企業である。公式ウェブサイトには「ネットワークのセキュリティとパフォーマンスの問題を解決する」と記されており、一見すると普通のサイバーセキュリティ企業に見える。しかし実態は大きく異なる。

「グレートファイアウォールの父」が率いる会社

同社の最高科学責任者(チーフサイエンティスト)は方浜興(ファン・ビンシン)という人物である。彼はグレートファイアウォールの技術的な設計者として知られ、中国内外で「グレートファイアウォールの父」と呼ばれている。

Geedge Networksは、グレートファイアウォールを作った人物が率いる企業であり、同システムの商業版を世界に販売することを事業の中核としている。

中国政府との深い連携

Geedge Networksは名目上は民間企業だが、中国の中国科学院情報工学研究所(IIE)内の研究室「MESAラボ」との深い連携が、今回の流出文書で明らかになった。MESAラボは中国政府・共産党と直結した研究機関である。

ポイント「民間企業」という看板と、「政府機関との直結」という実態――この二重構造こそが、Geedgeを普通のサイバー企業と区別する最大の特徴である。

【コラム】第2章 補足

壁を作った男

――方浜興(ファン・ビンシン)とはどんな人物か―

【本コラムの位置づけ】 このコラムは第2章「Geedge Networksとはどんな会社か」の補足として、同社の最高科学責任者・方浜興の人物像を掘り下げるものです。本文の内容と合わせてお読みください。

2016年4月、中国のある著名な研究者が母校の大学で講演を行った。テーマは「サイバースペースの安全保障」。聴衆は数百人の学生だ。

講演の途中、彼は韓国政府のウェブページを引用しようとした。ところが――画面には「アクセスできません」の文字が浮かんだ。

そのページは、彼自身が設計したシステムによってブロックされていたのである。

焦った彼はVPNを使って「壁」を回避しようとした。しかし接続は1分以内に2度切断された。結局、彼は百度(中国版Google)でGoogleのスクリーンショットを検索し、それを画面に映して講演をどうにか続けた。

会場は静まり返った。質疑応答は行われなかった。

自分が作った壁に、自分が阻まれた。

この研究者の名前は方浜興(ファン・ビンシン)。世界で最も強力なインターネット検閲システム「グレートファイアウォール」の設計者であり、Geedge Networksの最高科学責任者である。

─── 「不可能な仕事」をやり遂げた男 ───

1960年、中国東北部の黒竜江省ハルビン市に生まれた方浜興は、ハルビン工業大学でコンピューター・サイエンスの博士号を取得した純粋な技術者だった。

1999年から中国の国家ネットワーク緊急対応技術チームに加わり、2000年以降はチーフエンジニアとして、あの「壁」の技術開発を主導した。

かつて米国のクリントン元大統領は、中国がインターネットを統制しようとすることを「ゼリーを壁に釘で打ち付けるようなものだ」と笑った。インターネットとはそもそも、自由で開かれた通信を前提に設計されたシステムである。それを一国の政府が管理するなど、技術的に不可能に近い――そう思われていた。

方浜興は、その「不可能」をやり遂げた。

14億人が使うインターネットを、政府が望む形にフィルタリングするシステムを構築し、今日も稼働させ続けている。その功績(あるいは「罪業」)から、彼は中国内外で「グレートファイアウォールの父」と呼ばれるようになった。

─── 学長になり、靴を投げられた ───

技術者として頭角を現した方浜興は、やがて北京郵電大学の学長という学術界の頂点に立つポストを得た。さらに中国科学院の院士(会員)にも選ばれ、表向きは「国家に貢献した偉大な学者」として扱われた。

しかし、中国国内の一般市民の目には違って映った。

2011年5月、方浜興が武漢大学を訪問した際、学生が後ろから靴を脱いで投げつけた。最初の一足は命中した。その場にいた別の学生は「彼のせいで、無料でアクセスできるはずのサイトにお金を払わなければならなくなった。インターネットサーフィンを非常に不便にした人物だ」と語っている。

中国国内では、市民がSNSで方浜興を公然と攻撃する「報奨金」キャンペーンが起き、靴投げ事件はたちまち拡散した。

「壁」を作った人物への怒りは、体制外の中国人の間で広く共有されていたのである。

靴を投げた学生の怒りは、14億人の中に静かに眠っている。

2013年7月、方浜興は北京郵電大学学長を突然辞任した。学位授与式のスピーチの場で「健康上の理由」を口にしたが、中国国内では汚職疑惑との関連を指摘する声も少なくなかった。真相は今も明らかでない。

─── 今度は「壁」を売る側へ ───

表舞台から姿を消した方浜興だが、「引退」はしていなかった。

中国の企業登記データベースによると、2019年、彼は積成(海南)科技投資という会社の投資家となり、40%の持分を取得した。この積成こそが、Geedge Networksへの出資者であり、両社は経営幹部を共有している。

さらに2024年には、中国国営メディアの新華社が「方浜興がGeedgeの協力を得て新たなサイバーセキュリティ研究スタジオを設立した」と報じた。

つまり彼は、グレートファイアウォールを「作った」だけでなく、今度はその商業版を世界に「売る」ビジネスにも深く関与しているのである。

壁を作り、壁を売る。これが一人の人間の半生である。

WIREDの報道によれば、Geedgeは中国型の検閲を海外に輸出するだけでなく、海外での運用データを逆輸入して、中国国内の抑圧をさらに洗練させる方向にも動いている。最初の国内向け導入先は新疆ウイグル自治区だった。(参考資料NO.14)

─── この人物が意味すること ───

方浜興の半生を振り返ると、Geedge Networksが単なる「民間のサイバーセキュリティ企業」でないことは明白である。

グレートファイアウォールという国家プロジェクトの設計者が、定年後に同じ技術の輸出ビジネスに参画している。これは偶然でも個人の「起業」でもなく、国家の意思と個人の能力が一体化した、組織的な技術輸出戦略の一環と見るべきである。

彼がメディアにグレートファイアウォールについて問われた際、仕組みを尋ねられると一言「国家機密」と答えた。それが今、パキスタンやミャンマーの政府に販売されているのである。


第3章 「監視パッケージ」の中身

Geedge Networksが販売しているのは、主に以下のような製品・サービスである。以下、専門用語を使わずに説明する。

【製品1】 天狗セキュアゲートウェイ(Tiangou Secure Gateway)

同社の看板製品。一言で言えば「国レベルの通信監視・遮断装置」である。

この装置を国の通信インフラ(インターネットの出入り口)に設置すると、その国に出入りするすべての通信を監視できる。VPNも遮断できるため、市民が政府の監視を逃れる手段も封じられる。さらに、特定のウェブサイトへの攻撃機能まで備えている。

【製品2】 サイバーナレーター(Cyber Narrator)

利用者(政府職員)が、監視対象の通信状況を地図上で視覚的に確認できるダッシュボード(管理画面)である。「この地域で今、誰がどんなアプリを使っているか」を、ITの知識がない職員でも一目で確認できるよう設計されている。

実際のデモ映像では、特定の地域でデモ(抗議活動)が起きた際に、参加者の通信を特定・追跡する使い方が示されていた。

【製品3】 TSGギャラクシー(TSG Galaxy)

収集した市民の通信データを蓄積・保管するシステム。いわば「監視データの倉庫」である。


第4章 どの国に売られているか

今回の流出文書から、Geedge Networksが以下の国々に技術を提供していることが確認された。

          状況・詳細
ミャンマー2021年軍事クーデター後に導入。3,340万人のインターネット利用者が監視対象(IWS 2023年統計)。軍への批判投稿や民主化運動家の通信を追跡するために使用されている。人権団体「Justice For Myanmar」は、この技術がクーデター後の拷問・殺害事件に加担した可能性を指摘している(報告書No.3)。
パキスタン政府が「ウェブ監視システム2.0(WMS 2.0)」にGeedge技術を採用。以前使用していた西側企業の検閲技術が制裁により撤退した後、Geedgeに乗り換えた(Amnesty報告書No.8)。
カザフスタン国内インターネット・携帯通信全体の傍受に使用されているとされる(流出文書より)。*なお本稿執筆時点でPBS・Amnestyによる独立検証は確認されていない。今後の追加調査に注目が必要である。
エチオピア内戦(ティグライ紛争)期間中のインターネット遮断にGeedge技術が使われたとみられる(流出文書より)。*同上、第三者独立検証は未確認。

今後の拡散リスク

流出文書には、Geedgeがスペイン語・フランス語に対応したエンジニアを採用中との記録があり、中南米・アフリカへの進出が示唆されている。一帯一路参加国は約150カ国に上るため、潜在的な輸出先は膨大である。

【注記】本省の国別情報のうち、ミャンマー、パキスタンについては、PBS・Amnestyによる独立検証が完了している。カザフスタン。エチオピアについては流出文書に基づくものであり、現時点で第三者検証は確認されていない。


第5章 西側企業はなぜ関与しているのか

この問題には、不快な「共犯構造」が潜んでいる――しかし、その構造は単純ではない。

西側技術の「流用」という問題

今回の調査で、Geedgeの監視システムには米国・フランス・ドイツなど西側企業の技術・部品が組み込まれていることが明らかになった。

企業国・分野   Geedgeシステムへの関与
Niagara Networks米国・通信分析機器通信分析・監視機能に組み込まれた一般市販製品
Thalesフランス・セキュリティ技術セキュリティ関連技術が流用
Utimacoドイツ・暗号・傍受技術暗号・傍受関連技術が流用
重要な区別これらの企業が直接、人権侵害に加担しているわけではない。いずれも一般市場向けに販売した製品が、アラブ首長国連邦(UAE)の仲介業者を経由して意図せず流用されたケースである。しかし「知らなかった」では済まされない時代になっている。輸出規制やデューデリジェンス(リスク調査)の「抜け穴」が悪用されているという構造的な問題であり、国際的な制度見直しが急務である。

第6章 日本にとってのリスク

一見、途上国の問題に見えるかもしれない。しかし日本に関係するリスクは二層ある。

リスク① 日本人が直接、監視される危険

ジョージタウン大学の安全保障研究機関は、「Geedge機器が導入された国を訪問した民主主義国の市民も、個人情報の漏洩や監視のリスクにさらされる」と警告している(参考資料No.4)。

具体例日本人ビジネスマンや外交官が、Geedge技術を導入したパキスタン・カザフスタン等でインターネットを使用した場合、その通信が現地政府や中国側に傍受される可能性がある。

リスク② デジタル権威主義の「標準化」という長期リスク――ITUをめぐる攻防

より根本的な問題がある。中国は今に限らず、数十年にわたる水面下の準備を経て、国際標準化機関における発言力を組織的に獲得してきた。ITU(国際電気通信連合)はその最前線の舞台である。

◆ ITUとはどんな機関か

ITU(International Telecommunication Union)は国際連合の専門機関で、1865年にパリで設立された世界最古の国際機関の一つである。加盟国は194カ国にのぼり、主な役割は①国際的な電波・周波数の管理、②電気通信の国際標準化(勧告の策定)、③途上国への技術支援の三つである。

ITUが策定する「勧告(Recommendation)」は、WTO協定を通じて各国の政府調達や政策立案の基準となる「デジュール標準」として扱われる。いわば、「世界の通信のルールブック」を書く機関であり、誰がそのルールブックの編集を主導するかが、地政学的に決定的な意味を持つ。

標準化の「仕組みの力」――幹事国・議長職が持つ意味

ITUの標準化作業は、テーマごとに設置された研究委員会(SG:Study Group)で行われる。各SGには議長・副議長・ラポータ(議題担当者)といった役職があり、これらを握る国・企業が議題の設定、審議の進め方、草案の作成を主導できる。

ISOやIMFなど他の国際機関でも同様の構造がある。幹事職・議長職を持てば、他国の技術動向を事前に把握でき、標準化の方向性を事実上コントロールできる。これは純粋に技術的な作業ではなく、高度な地政学的戦略である。

参加者の「数」も武器になるITUやISOでは、詳しくない分野であっても多数の代表者を送り込んで会議に参加させることで、議論の流れを自国に有利な方向に誘導できる。「量で制する」戦略は、中国が国際標準化の場で組織的に実践してきた手法である(PwC Intelligence 参考資料No.12)。

中国のITU工作:30年にわたる布石

中国は突然ITUに影響力を持ったわけではない。少なくとも1986年からITUに職員を送り込み、30年以上にわたって段階的に要職を積み上げてきた経緯がある。

時期          主な動き
1986趙厚麟(ジャオ・ホウリン)、ITUに入局(中国郵電省出身)
1998趙、ITU電気通信標準化局(TSB)局長に選出。標準化の実務を統括する要職を獲得
2006〜2010年趙、ITU事務次長に選出・再選
2012ドバイで開催のITU世界国際電気通信会議(WCIT-12)にて、中国・ロシア主導でインターネットへの国家管理権限を国連・ITUへ移す提案が提出される。米国主導の反対で否決されるが、火種は残る
2014趙、ITU事務総局長(Secretary-General)に選出。ITU150年の歴史上、初の中国人事務総長誕生
2018趙、事務総長として再選。Huaweiが「New IP」提案をITUに提出(後述)
2019〜2020年Huawei等中国企業がITUのSG(研究委員会)に多数の寄書を提出し、監視・管理技術の標準化を推進
2022趙の事務総長任期満了。後任にDoreen Bogdan-Martin(米国支持)が就任し、流れが一部転換。ただし中国のSG内発言力・参加数は高止まり
2024日本人・尾上誠蔵氏がITU電気通信標準化局(TSB)局長に就任。日本として数十年ぶりの局長職獲得

趙厚麟(ジャオ・ホウリン)の事務総長就任(2014〜2022年)は、この長期戦略の集大成といえる。就任中、趙はHuaweiへの支持を公言し、中国の一帯一路デジタルシルクロード政策を推進した。また、ITUの権限を通信分野を超えてAI・IoT全般へ拡大しようと試みた(参考資料No.10・No.11)。

「New IP」問題――インターネットの設計思想への挑戦

2018年から2020年にかけて、Huaweiがテクニカルペーパーとしてまとめ、中国政府の支持のもとITUに提出した「New IP(新IPプロトコル)」は、その野心を象徴する事例だ。

現在のインターネットは「誰もが自由に接続できる」という設計思想に基づいているが、New IPは「ユーザーを特定の国家や機関が遮断・制御できる」仕組みを技術仕様の中核に組み込んでいた。技術専門家からは「グレートファイアウォールをインターネット標準に埋め込む試み」と批判され、欧米諸国の反対によって標準化は阻まれたが、この動きは今後も形を変えて続くと見られている。

わかりやすく言うと現在のインターネットは「高速道路」のような自由な往来を前提とする。New IPが実現すると、その高速道路に「国家が管理するゲート」が設置され、通行者を選別・遮断できる仕組みがインターネットの根幹に組み込まれることになる。

日本の現状と課題

日本は1959年からITUの理事国であり、継続的に標準化活動に貢献してきた。2023年1月には日本人の尾上誠蔵氏がITU電気通信標準化局(TSB)局長に就任したことは、近年の成果として評価できる。また2024年のWTSA-24(世界電気通信標準化総会)ではSG13の議長職を日本が確保した(総務省 参考資料No.13)。

しかし課題も多い。米国・中国と比べ、日本のITU-TSGへの寄書(提案文書)提出数は少なく、人材基盤も脆弱である。総務省は「ITUの将来の議長・副議長等が期待される者の育成」を政策課題として掲げているが、実効性のある施策は緒に就いたばかりだ。

中国がGeedgeのような技術を通じて「監視OK」のインターネット規範を各国に普及させ、それが既成事実として国際標準に接近してくる前に、日本が民主主義的なインターネット規範の守護者として、より積極的に国際標準化の場へ参加する必要がある。


第7章 国際社会の反応と日本への提言

国際社会の動き

  • 米国議会・シンクタンク(Georgetown・Hudson):Geedge Networksへの制裁発動と輸出規制強化を提言
  • 米国CISA:同盟国機関との連携による対策を提言
  • Amnesty International・Justice For Myanmar:Geedgeリーダーシップへの国際的な刑事捜査と制裁を求める声明を発表

日本への提言

一方、日本政府からはまだ公式な対応が示されていない。以下の対応が求められる。

  • 国会・外務委員会等での実態調査と議論
  • 経済産業省による輸出規制デューデリジェンスの強化
  • Geedge技術採用国への渡航・通信に関する注意喚起
  • G7・民主主義国家連携によるデジタル権威主義対抗枠組みへの積極参加
  • ITU-TのSG標準化審議への参加強化と人材育成の加速――「標準は従うものではなくつくるもの」という戦略的認識のもと、寄書提出数・役職獲得を国家目標として設定すること

おわりに ― 民主主義か、監視社会か。日本が「壁」を破るとき

Geedge Networksの問題は、単なるサイバーセキュリティの技術的な話ではない。誰が世界のインターネットのルールを作るのか、という地政学的な問いである。

「ネットは自由であるべきだ」という民主主義的な価値観と、「政府が国民の通信を管理すべきだ」という権威主義的な価値観が、いま世界規模で衝突している。

Geedgeの流出文書は、その衝突の最前線を可視化するものである。流出した文書はPBSとAmnesty Internationalによって独立検証されており、これが「情報操作」ではなく「事実」であることが確認されている。日本の政治家・メディア・ジャーナリストがこの問題を正面から取り上げ、公論を形成することが求められている。


参考資料

本稿は以下の一次資料・調査報道をもとに作成した。※(独立検証済み)と記した資料は、当該機関が流出文書の真正性を独立確認したことを示す。

No.      出典     内容
1PBS NewsHour(2025年10月19日)“Massive leak exposes how China’s Great Firewall is being exported to other countries” ※流出文書の真正性を独立検証
2Follow the Money(2025年9月11日)“China exports censorship tech to authoritarian regimes – aided by EU firms”
3Justice For Myanmar(2025年9月9日)“Silk Road of Surveillance: The role of China’s Geedge Networks and Myanmar telecommunications operators in the junta’s digital terror campaign”
4Georgetown Security Studies Review(2025年11月21日)“Exporting the Great Firewall: The CCP’s Exposed Efforts to Spread Digital Authoritarianism”
5Hudson Institute(2025年9月22日)“Tearing Down China’s Great Firewall”
6The Diplomat(2025年9月19日)“Inside China’s Surveillance and Propaganda Industries: Where Profit Meets Party”
7Daily Security Review(2025年9月23日)“Great Firewall Leak Exposes China’s Global Surveillance Exports”
8Amnesty International(2025年9月)パキスタンにおけるGeedge技術の運用分析報告書 ※流出文書の真正性を独立検証
9InterSecLab(2025年)
URL: Home | InterSecLab
技術分析レポート(Great Firewall Export プロジェクト) ※民間サイバーセキュリティ研究機関による独立技術検証。同機関の所在地・設立背景については公式サイトを参照。実在確認が取れない場合は本資料を削除し、PBS・Amnestyの技術記述への差し替えを推奨。
10Heritage Foundation(2021年)“Countering China’s Growing Influence at the International Telecommunication Union”
11China Focus, UC San Diego(2021年)“The Fight over the Fate of the Internet: The Economic, Political, and Security Costs of China’s Digital Standards Strategy”
12PwC Intelligence(2025年)「国際標準化をめぐる地政学的競争――中国・EU・米国の動向」
13総務省(2024年)「ITUにおける日本の標準化活動の成果と課題」内閣府 国家標準総合戦略レビュー資料
14WIRED(2025年9月24日 『中国企業による「グレート・ファイアウォール」の各国政府への販売を流出文書が示す』)Geedgeによる中国型検閲の海外輸出および運用データの国内逆輸入に関する報道

用語集

用語          解説
グレートファイアウォール(金盾)中国政府が運営するインターネット検閲・監視システム。中国国内からのインターネットアクセスをすべて監視・制限する。
VPN(仮想プライベートネットワーク)通信を暗号化し、政府の監視やブロックを回避する技術。中国では基本的に使用が禁止されている。
ディープパケットインスペクション(DPI)通信の「中身」まで細かく分析する技術。封書を封筒ごと開封して読むようなイメージ。
サプライチェーン製品が製造・販売されるまでの一連の調達・供給の流れ。複数国の企業部品が組み合わさって一つの製品になる。
一帯一路(BRI)中国が推進するインフラ投資プロジェクト。世界約150カ国が参加し、道路・港湾・デジタルインフラを中国主導で整備する。
デジタル権威主義インターネット・SNS・監視技術を活用して、国民の情報・言論・行動を管理・統制する政治体制。
ITU(国際電気通信連合)国際連合の専門機関。電波・通信技術の国際標準化、周波数割当、途上国支援を担う。加盟国は194カ国。全権委員会議が最高意思決定機関で4年ごとに開催される。
ITU-T(電気通信標準化部門)ITUの中で通信の国際標準を策定する部門。テーマ別に研究委員会(SG)が設置され、各国が寄書(提案文書)を提出して標準化を議論する。
ITU-T SG(研究委員会)Study Groupの略。ITU-Tの標準化作業を行う専門委員会。議長・副議長・ラポータ(議題担当者)などの役職が標準化の方向性に大きな影響を持つ。
デジュール標準(De Jure Standard)ITU・ISO・IECなどの公的機関が正式に定めた国際標準。WTO協定により各国の政府調達での準拠が求められる法的拘束力を持つ。
New IP(新IPプロトコル)Huaweiが2018年にITUに提案したインターネット技術の仕様。現在の自由な通信構造ではなく、国家が通信を管理できる設計が盛り込まれていた。欧米の技術専門家から強い批判を受けた。
サイバー主権(Cyber Sovereignty)中国が推進する考え方。「国家はその国内のインターネットを管理する権限を持つ」という理念で、自由なインターネットの概念と対立する。
CISA米国のサイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁。日本の内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)に相当する機関。
制裁(サンクション)特定の国・企業・個人に対して、貿易・金融取引・渡航などを制限する外交的措置。
デューデリジェンス取引・投資等の前に、相手方のリスクを十分に調査・確認すること。
方浜興(ファン・ビンシン)グレートファイアウォールの設計者として知られる中国人研究者。Geedge Networksの最高科学責任者を務める。
真正性(authenticity)の検証流出文書が本物かどうかを独立した第三者が確認するプロセス。本稿ではPBSおよびAmnestyが独立検証した文書を使用している。

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舩山 美保 理事・主任研究員

国際政治経済学・心理学を基盤にサイバーセキュリティインテリジェンスを専門とする。ISO/IEC JTC1 SC28副国際幹事を歴任し、国際規格の策定プロセスを主導した経験を持つ。現在はAIリスク・情報戦・危機管理政策を横断的に研究している。