プーチンに突きつけた一撃。「われわれはあなたを見ている」 イラン戦争の陰でロシア潜水艦による海底ケーブル破壊工作の存在が明らかに。「海底ケーブル三部作・完結編。」
イラン戦争の陰でロシアが動いた
――英国海底ケーブル破壊作戦の全貌
NATO分散戦略としての「イラン戦争便乗型」ハイブリッド脅威と海底重要インフラへの複合リスク
2026年4月10日
発行元: 一般財団法人 日本危機管理研究所
発行者: 舩山 美保
■ 本稿のねらい
本稿は、2026年4月9日に英国防衛省が公式に認定したロシアの秘密潜水艦作戦を題材に、イラン紛争という地政学的分散要因がいかに西側諸国の海底重要インフラに対する脅威を構造的に高めるかを分析する。物理的な海底ケーブル破壊工作は、切断された瞬間に通信・金融・軍事指揮の三領域を同時麻痺させる潜在的サイバー物理攻撃(Cyber-Physical Attack)であり、単なる軍事事案を超えたサイバーリスク事象として捉え直す必要がある。
本稿は当研究所が2026年3月・4月に発表した海底ケーブルシリーズの第三報として位置づけられる。前二報と併せてお読みいただくことで、フーシ派(イランの武装組織)・中国・ロシアという三つの脅威主体が中東・インド太平洋・北大西洋という三つの戦場で同時並行的に西側の海底通信インフラへ圧力をかけているという全体像が浮かび上がる。
- 前編:中東海域における「海峡・海底通信ケーブル」危機と日本への影響(2026年3月)
- 後編:海底ケーブルを制する者が世界を制す(2026年4月)
■ キーワード
- 海底ケーブル / Undersea Cable
- GUGI(深海研究総局) / Main Directorate for Deep Sea Research
- ハイブリッド戦争 / Hybrid Warfare
- サイバー物理攻撃 / Cyber-Physical Attack
- 重要インフラ防護 / Critical Infrastructure Protection
- 注意分散戦術 / Distraction Strategy
- イラン紛争 / Iran Conflict
- 北大西洋海底監視 / North Atlantic Seabed Surveillance
- アクラ型潜水艦 / Akula-Class Submarine
- 排他的経済水域(EEZ) / Exclusive Economic Zone
■ エグゼクティブサマリー
- 英国・ノルウェーは、ロシアがイラン戦争による西側の注意分散を利用して欧州への悪意ある活動を強化したと非難し、北大西洋の海底ケーブル付近でロシアの偵察潜水艦を数週間にわたり追尾する作戦を実施した。
- 作戦にはアクラ型攻撃潜水艦1隻とGUGI所属の深海偵察潜水艦2隻が関与し、英国は英空軍P-8哨戒機が450時間超の飛行時間を記録し、海軍のタイプ23フリゲート艦HMS セント・オールバンズが数千海里を航行して追跡した。
- 英国防衛省はロシアの北大西洋での侵入が30%増加していると発表しており、イラン有事を契機とした地政学的「陽動」の構造が明確に浮かび上がっている。
- ロシアはイランに対しドローン部品等の軍事支援を行っており、イラン紛争とウクライナ戦争、そして北大西洋での海底工作は連動した複合戦略と見られる。
- 海底ケーブル切断はサイバー攻撃と等価の社会経済的影響をもたらすため、本件はサイバーリスク管理の観点から早急な対応が求められる。
1. 事案の概要
2026年4月9日、英国防衛大臣ジョン・ヒーリーはロンドンで記者会見を開き、ロシアが英国周辺水域において秘密裏に実施した潜水艦作戦の全容を公開した。ヒーリー大臣によれば、英国と同盟国は1か月以上にわたりアクラ型攻撃潜水艦1隻とGUGI所属の深海偵察潜水艦2隻の「全行程を追跡」した。大臣はプーチン大統領に対し、「私はこのロシアの活動を公表するためにこの声明を発表する。プーチン大統領、われわれはあなたを見ている」と直接呼びかけ、インフラへの攻撃が行われた場合は「深刻な結果をもたらす」と警告した。
ヒーリー大臣は、アクラ型潜水艦は「おそらく」GUGI艦の活動から注意を逸らすための囮として使用されたと指摘しており、GUGI艦2隻は「北大西洋における英国および同盟国にとって重要なインフラの上空で活動した」と述べた。英国政府はロシア海軍基地オレニャ・グバを映した衛星画像も公開しており、ヤンタル型偵察船と2隻のGUGI潜水艦が英国水域へ向けて出港前に同基地に停泊している様子が確認された。
2. イラン戦争という「地政学的支援」
本件で最も重要な分析軸は、ロシアがなぜこの時期に作戦を実施したかという問いである。ヒーリー大臣は「プーチンは中東に気をとられることを望んでいる」と明言し、ロシアが英国にとっての主要な脅威であることを改めて強調した。
英国当局は、世界の注目がイラン紛争に集中する中でも、ロシアが依然として重大な脅威であることを国際社会に再認識させることに努めてきた。この構造は「注意分散戦術(Distraction Strategy)」と呼ばれるハイブリッド戦争の典型的手法であり、敵対国が複数の地政学的危機に同時に直面している状況を意図的に利用するものだ。
英国の防衛分析シンクタンク、民主主義防衛財団のジョン・ハーディ氏は、GUGIの艦艇が「長年にわたって海底ケーブル付近で不審な活動を行ってきた」と指摘し、これらの艦艇が「盗聴装置の設置」や「有事においてNATOの通信を妨害するための情報収集」に使用され得ると警告した。
さらに看過できないのは、ロシアがイランに対しシャヘド型ドローン(現在はロシアでゲラン型として製造)の技術支援を含む軍事協力を行っており、イランもロシアのウクライナ侵攻を支援してきたという相互依存関係である。換言すれば、イラン戦争はロシアにとって「地政学的支援」として機能しており、西側の分散した注意力を突く形で海底インフラへの接近を図ったと考えることができる。
3. 海底ケーブルへの脅威——物理インフラとしてのサイバーリスク
海底ケーブルの重要性は論を俟たない。全世界のインターネットトラフィックの約95%、国際金融取引の決済データのほぼ全量がこれらのケーブルを通じて伝送される。ケーブルの切断や盗聴は、物理的攻撃でありながらその効果においては大規模サイバー攻撃と同等か、それを超える社会的・経済的破壊をもたらし得る。
ノルウェー国防省は今回の事案を「ロシアが大洋深部における西側の重要インフラを地図化し、破壊する能力をさらに発展させていることを改めて示すものだ」と評価した。GUGIが展開する戦術は、平時における「インフラ地図作成」と有事における「破壊工作の事前準備」の二段階構造を持つ。ヒーリー大臣自身も、これらの潜水艦が「平時には海底インフラを測量し、紛争時にはそれを破壊するよう設計されている」と明言している。
2025年11月には、バルト海でスウェーデン・リトアニア間およびドイツ・フィンランド間の海底ケーブルが切断され、NATOや加盟国に大きな衝撃を与えた。今回の北大西洋での作戦は、バルト海事案とも連続する文脈において理解されるべきであり、ロシアによる欧州海底インフラへの系統的な脅威戦略の一端を示すものと言える。
4. 英国海軍の「疲弊」と同盟対応の現実
今回の作戦は、英国が深刻な防衛力不足に直面する中で実施された点でも注目される。ヒーリー大臣は、保守党政権の14年間にわたる軍艦や機雷掃海艇の削減および核抑止力更新の遅延によって「英国海軍は空洞化された」と批判した。
イラン紛争に起因する地域防衛作戦への対応により、英国は東地中海に6隻あるタイプ45駆逐艦のうち1隻すら派遣できない状況となり、ドイツ海軍フリゲート艦ザクセンが北大西洋でのNATOミッションの旗艦として代役を務める事態となった。これは同盟国間の責任分担(バーデンシェアリング)の観点からも、また有事対応能力の実態を示す点からも、深刻な問題提起を含んでいる。
日本への示唆
日本は世界有数の海底ケーブル依存国であり、その地政学的位置から今回の英国事案は対岸の火事ではない。前編・後編と本稿を通じて明らかになったのは、海底ケーブルへの脅威が単一の主体・単一の地域・単一の手法に収まらないという現実である。前編が示したフーシ派・イランによる中東チョークポイント攻撃、後編が論じた中国による敷設浸透とグレーゾーン切断、そして本稿のロシアによる北大西洋物理偵察——この三つは、日本のエネルギーと通信の「二重依存構造」と、沖縄ケーブルハブの「戦略的二重性」という日本固有の脆弱性に同時に照射されている。
第一に、海底ケーブルの脆弱性認識の更新が急務である。
日本周辺の東シナ海・南シナ海・太平洋には主要なケーブルが集中しており、中国・ロシアいずれの潜水艦活動も確認されている。平時の「調査」が有事の「破壊準備」と不可分であるという今回の教訓は、平和時における海底インフラ防護活動の法的根拠の整備を促す。
第二に、イラン戦争型の「地政学的分散」リスクへの備えが必要である。
台湾有事や朝鮮半島情勢が高まる局面に合わせ、ロシアや中国が日本周辺の海底インフラへの接近を図る可能性は現実的シナリオとして想定されなければならない。防衛省・海上保安庁・民間通信事業者が一体となった「海底インフラ危機対処計画」の策定が求められる。
第三に、情報公開・同盟連携による抑止の実践が有効である。
英国が今回、作戦詳細の一部を公開することでロシアへの「見ているぞ」というシグナルを発したように、日本も海底での異常活動を把握した際の情報公開プロトコルを同盟国と共有し、抑止効果を高める外交的・安全保障上の枠組みを構築すべきである。
第四に、重要インフラのサイバー物理統合防護が不可欠である。
海底ケーブル切断はサイバーインシデントと同等の社会経済的影響をもたらす。経済安全保障推進法の枠組みを活用しつつ、海底ケーブル事業者を「特定重要設備」として指定し、常時監視・冗長化・迅速復旧体制の整備を進めるべきである。前編・後編が提言した沖縄ハブの強化、Quad枠組みによるケーブルセキュリティ協定、経済安保法の改正は、ロシアの脅威という観点からも同様に妥当であり、三本の分析は同一の政策処方箋へと収束する。
参考資料
Breaking Defense, “UK accuses Russia of covert submarine operation threatening undersea cables,” April 9, 2026. https://breakingdefense.com/2026/04/uk-accuses-russia-of-covert-submarine-operation-threatening-undersea-cables/
UK Government Official Statement, “UK exposes covert Russian submarine operation in and around UK waters,” April 9, 2026. https://www.gov.uk/government/news/uk-exposes-covert-russian-submarine-operation-in-and-around-uk-waters
Associated Press, “U.K., Norway led a military operation to deter Russian submarines in the North Atlantic,” April 9, 2026.
Euronews, “UK and Norway foil Russian submarine plot to survey undersea cables in north Atlantic,” April 9, 2026.
Norwegian Ministry of Defence, Statement by Defence Minister Tore O. Sandvik, April 9, 2026.
Irish Times, “‘We see you’: Britain claims it rumbled ‘secret’ Russian plot to interfere with subsea cables,” April 9, 2026.
一般財団法人日本危機管理研究所「中東海域における海峡・海底通信ケーブル危機と日本への影響」(前編)、2026年3月。 https://inst-ds.org/cyber-security/757/
一般財団法人日本危機管理研究所「海底ケーブルを制する者が世界を制す」(後編)、2026年4月。 https://inst-ds.org/news/828/
用語集
GUGI(深海研究総局 / Main Directorate for Deep Sea Research)
ロシア軍参謀本部直轄の特殊組織。公式には深海研究を標榜するが、実態は海底インフラの地図作成・盗聴装置設置・有事破壊工作の準備を主任務とする準軍事組織。ヤンタル型偵察船と専用深海潜水艦を保有する。
アクラ型潜水艦(Akula-Class Submarine)
ロシア海軍の攻撃型原子力潜水艦。冷戦期から運用されており、静粛性の高さで知られる。今回は囮として活用されたとされる。
海底ケーブル(Undersea / Submarine Cable)
海底に敷設された光ファイバーケーブル。世界の国際通信の約95%および国際金融決済の大部分を担う。物理的に切断・盗聴が可能であり、近年は安全保障上の重要インフラとして再評価されている。
ハイブリッド戦争(Hybrid Warfare)
軍事・非軍事手段を組み合わせた複合的戦争形態。サイバー攻撃、情報操作、海底インフラ破壊工作、偽旗作戦などを含み、明確な戦争宣言を伴わない「グレーゾーン」での活動が特徴。
サイバー物理攻撃(Cyber-Physical Attack / CPS Attack)
物理的手段によるインフラへの攻撃がサイバー空間・情報空間に波及する複合攻撃。海底ケーブルの切断による通信断絶は典型例であり、ICSへのマルウェア攻撃と同様の社会的影響をもたらす。
排他的経済水域(EEZ / Exclusive Economic Zone)
沿岸国の基線から200海里(約370km)以内の海域。沿岸国は資源開発・経済的活動の主権的権利を有するが、外国の航行は原則として認められる。今回のロシア潜水艦活動は英国の領海外・EEZ内で行われた。
注意分散戦術(Distraction Strategy)
複数の危機を同時多発させることで敵の監視・対応能力を分散させる戦略的手法。ロシアが今回、イラン紛争への国際社会の注目を利用して北大西洋で作戦を実施したことがその典型例とされる。
統合インフラ戦(Integrated Infrastructure Warfare)
物理攻撃・サイバー攻撃・情報戦を融合させた現代的戦争形態。前編(中東・フーシ派事案)で詳述された概念であり、ロシアの北大西洋偵察工作にも同様の構造が見られる。攻撃主体・地域・手法が多様化しており、単一領域の防衛では対処不能である。
グレーゾーン作戦(Gray Zone Operations)
前編・後編・本稿の三本を通じて一貫して登場する概念。武力行使の閾値を意図的に下回りながらインフラや意思決定に打撃を与える手法。中国の「錨の引きずり」、フーシ派のケーブル切断、ロシアのGUGI潜水艦作戦はいずれもこのカテゴリに属する。
多軸インフラ圧力(Multi-Axis Infrastructure Pressure)
本稿(第三報)で提示する分析概念。ロシア(北大西洋)・中国(インド太平洋)・フーシ派+イラン(中東)という三主体が同時並行的に西側海底インフラに対して圧力をかける構造を指す。それぞれの作戦が独立しているとしても、結果として西側の対応能力を多方面から消耗させる効果を持つ。
